翌日、私はヨシノシティ行きのバスに乗っていた。ポケモンジムに行くかどうかも一晩悩んだが、結局今回も保留にしている。
窓の外の景色が、だんだんと見慣れたものになっていく。マサラからヨシノに帰ってくるたびに安心感を覚えるけれど、今回はなんだかそわそわした。
バスが止まり、終点を告げる。ぞろぞろと降りていく人たちに混じってバスを出た。
「アヅサ」
声のした方を向く。ビデオ通話で何度も見た姿。なのにどうして、胸がいっぱいになるんだろう。
「お母さん!」
駆け出して、両手を広げて待っているお母さんに抱きつく。優しい匂い。お母さんの、匂い。
「お母さん、あのね。私、初めて一人でニビシティに行ったよ。あっ、本当は一人じゃなくてポケモンたちもいたけど……それにね、ディグダの穴も通ったしクチバとヤマブキも……リニア! リニアもね、すごかったよ! あとね」
「うん、うん。いろんなこと、たくさん体験したんだね」
電話でも話したのに、伝えたいことがいっぱいある。お母さんは私の頭を撫でた後、手を繋いでくれた。
「お話、ご飯食べながら聞かせて? おうちでスズミも待ってるよ」
「! うん」
スズミ。私の弟。元気かな。ポケモン、見せてあげたいな。
お母さんと並んで、家までの道をゆっくり歩いていく。久々の故郷は、花の甘い香りに潮風が混じった匂いがした。
ヤマブキやコガネほど華やかじゃない。クチバほど立派な港町でもない。かといってマサラのような、のどかな田舎町という感じでもない。
都会と田舎のちょうど間ぐらいのこの街の雰囲気が、私は大好きだ。
「あっ」
静かな住宅街の一画。私が世界で一番安心できる居場所が見えてきた。
家の前に、一人の男の子が座っている。こちらに気がついたのか、立ち上がって大きく手を振った。
「スズミ!」
「アヅサちゃん!」
呼びかけると、パートナーの帰りを待っていたガーディのように走ってくる。勢いよく抱きついてきた弟を、よろけながらも受け止めた。
「ポケモンは!?」
「スズミ、アヅサは帰ってきたばかりなんだから。まず言うことがあるでしょ」
「あっ、そっか」
ぱっと離れたスズミが、満面の笑顔を浮かべる。
「アヅサちゃん、おかえり!」
「おかえり、アヅサ」
「……ただいま!」
目の奥がじわりと熱くなる。それをぐっとこらえて、言葉を返した。
◇◆◇
お母さんが用意してくれたお昼ご飯を食べながら旅の話をする。お母さんはときどき相槌を打って、感心したような声を出した。スズミは目をきらきらさせて続きを催促する。特にポケモンバトルの話を聞きたがった。
「リザードだ! かっこいい〜! アヅサちゃん、触ってもいい!?」
手持ちのポケモンを見たい、という二人のためにボールから出す。スズミはマソラがお気に入りのようで、興味津々で手を伸ばしている。
「マソラ、いい?」
「ぎゃう」
マソラが前足の爪を立てる。グーサインが出たのでスズミに「いいって」と伝えると、嬉しそうにぺたぺた触り始めた。
「ぴかぁ」
「ツキミちゃん、人懐っこいね」
ツキミはお母さんの膝の上に寝転んで撫でられている。警戒心が強いポケモンとは思えないほどリラックスしてるなぁ……まあ今更か……。
「……サク?」
茶色いもふもふの姿が見当たらず、きょろきょろと部屋の中を見回す。しばらく探して、ソファーに置いてあるクッションの下に潜り込んでいるのを発見した。暗がりから、じっとりとした目つきでこちらの様子をうかがっている。
「落ち着かないか」
鼻先に指を差し出すと、ふんふん匂いを嗅いでくる。しかしそれだけで、外に出てくることはない。
「アヅサちゃん、イーブイ……怖がってる?」
マソラと触れ合っていたスズミがおずおずとこっちに近寄って聞いてくる。
「イーブイは周りの環境に敏感なポケモンだから、慣れるまで時間がかかるかもしれないね」
それに、サクは特殊な事情も抱えている。出会ったときも路地裏なんて薄暗い場所にいたし、こういう場所を隠れ家にしたがるのも……過去の、影響なのかもしれない。
「そっか……じゃあ、イーブイが落ち着いたら……なでても、いいかなぁ……?」
「うん。その時は、サクに聞いてみよう」
「うん!」
ぱっと表情を明るくしたスズミは「アヅサちゃん、おれ、えっと、マソラ? が技を出すとこ見たい!」と手を引っ張ってくる。
「だとしたら外に出て広いところ行かないと……」
「じゃあバトルコート行こうよ! 誰かとバトルして!」
「スズミ、明日にしてあげて。アヅサは長旅で疲れてるんだから、休ませてあげないと」
「う〜……わかった」
「明日、マソラとツキミのかっこいいとこ見せたげる」
そう言うとスズミは瞳を輝かせて、何度も頷いたのだった。