♥︎のAは紫陽花に恋をした(エース) - 1/4

01 Find you
 
 寮長につけられた首輪を外してもらうため、監督生とグリム、デュースと一緒に薔薇の迷路に来ていた。
 鏡を抜けてからずっと物珍しそうにきょろきょろしていた監督生が迷路を見て顔をしかめる。
「ここ、入るの?」
「ふな? アヅサ、どうしたんだゾ?」
「何かまずいことでもあるのか?」
「……いや、まあ皆いるし……大丈夫だと思うけど……」
 どこか煮え切らない様子の監督生に、ふと気づいたことを口にする。
「ははーん……お前、もしかして迷子になるのが怖いんじゃねーの?」
「うっ……」
 からかうつもりで口にした冗談だったが、どうやら本当らしい。
「その、方向音痴なんで……こういう場所ってちょっと不安というか……」
「オマエ、どんくせーもんな。わかる気がするんだゾ」
「今は僕たちがいるし、離れなければ大丈夫だろ」
「そうだよね。うん、大丈夫大丈夫……」
「ま、もし迷子になったら探してやるよ。その代わり、お礼になんか奢ってもらうけど」
「助かるけど素直に喜べない……」
 ――そんなことを話してから少し時が流れて。オレとデュースが寮長と決闘したり、寮長がオーバーブロットしたりととんでもねーことばっかりだったけど、なんだかんだ丸く収まって今日も『何でもない日』のパーティーが行われている。
 監督生やグリムもすっかり常連で、当たり前のようにやってきてはタルトを食って帰っていく。トレイ先輩なんか手土産まで持たせるんだから、ほんと世話好きというか兄気質というか。ま、オレもしょっちゅうそのおこぼれに預かってんだけど。
 今日もアイツらは参加するはずだった。けど、時間になっても顔を見せない。
「エース、デュース。監督生たちが来ていないようだけど、何か聞いているかい?」
 真面目な我らが寮長様は監督生たちの遅刻がお気に召さないらしい。不機嫌そうな顔してオレたちの元へとやってきた。
「いえ、僕たちは何も。来るはずなんですけど」
「アイツ、スマホ持ってないんで連絡取れないんだよな〜」
 異世界から来た、という監督生はこっちに来たとき何も持っていなかったらしい。何故か着ていた式典服と制服のみが唯一の所持品だった。もちろん身寄りもないので学園長から与えられた生活資金でやりくりしている。節約のためにデュースと二人で購買部のタイムセールに飛び込んでいくほどだ。オレは絶対やりたくない。
「もしかしたら迷子になっているのかもしれない」
「うわー……それ絶対ありえるわ」
 初めてハーツラビュル寮に来た時のアイツの様子を思い出す。鼻の利くグリムがいるからまさかとは思うが、グリムだしな〜。
「僕、探しに――」
「いや、オレ行くわ。デュース、お前は残ってアイツら来たら連絡くれよ」
「一人より二人で探した方が早いだろ」
「お前アイツら探すのに必死になって自分も迷子になりそーじゃん。二人探すの面倒だからやめて」
「うぐっ……確かにそうかもしれないが……!」
 それに、オレが先に見つけたら奢ってもらえるし。
 とはもちろん言わず、渋々納得したデュースを残してパーティー会場を後にした。
 

◇◆◇

  この迷路をうろつくのは片手で数えるほどだが、大体の地理は把握していた。こういうのを覚えるのは得意だったりする。
 アイツにそれを言えば心底羨ましがられるだろう。そう思うと口角が上がる。
 初めてアイツ──アヅサを見たのは入学式の時だった。闇の鏡の前に立ったアイツが「無である」と言われた時は正直笑いそうになったし、なんならメインストリートで声をかけた時に爆笑した。
 グリムはすげーキレてたけど、アヅサは何の反応も示さなかった。オレのことなんか眼中になし、って感じ。今になってわかるけど、アヅサは人見知りでおまけにコミュ障。オレに興味が無いっつーより、他人に対しては基本無関心になるようだ。アイツ魔法が使えたら絶対イグニハイドだったと思う。
 オレとグリムが喧嘩しても、大食堂のシャンデリアをぶっ壊しても、ドワーフ鉱山に現れた化け物に襲われても、どこか他人事みたいに上の空で。まあ実際アイツは何もしてないし、グリムの保護者だから連帯責任で振り回されてる感覚だったんだろう。けど流石に化け物に襲われたら気にしろよとは思う。
 そんなアヅサが明らかに変わったのは、オレとデュースが魔法石を取りに行くかどうかで喧嘩になった時だった。
「じゃあ、皆仲良く退学ってことで」
 淡々と紡がれる、女子にしては少し低めの声でひやりとする一言を放つ。あの時は言われたことが衝撃的すぎて気にならなかったが、アヅサの声は妙に耳に残る。別に嫌なわけじゃねえけど。
 アヅサはさっきまでの無関心っぷりが嘘のようにオレとグリム、デュースと協力して化け物を倒した。無事退学を免れたオレたちと、学園長に認められて生徒となったグリム。アヅサはグリムと二人合わせて一人前という扱いで、今は使われていない寂れた寮――オンボロ寮の監督生となった。
 オレたち相手だと随分慣れてきたのか、アヅサは笑うことや口数が増えた。流されやすいのは相変わらずで、ハーツラビュルの問題に巻き込まれても「まあ、なるようになる」なんてゆるゆる笑っていた。
 コイツ大抵のことには怒らないんじゃね? とか思ってたけど。
 オバブロ寸前の寮長に両親のことを馬鹿にされた時、一瞬だけ雰囲気が変わったと思う。……まあ、アイツがキレる前にオレが寮長殴ったからホントのところはわからない。
 けどあの後、アヅサにお礼を言われた。
「エース、ありがとう」
「何が?」
「リドル先輩が私の両親のこと、なんか言おうとしてたでしょ。もしあれ以上続けられてたら、どうなってたかわかんないから」
 それはお前が? それとも寮長が?
 ぶっちゃけ怖くて聞けなかった。コイツたまに不穏になるの何なの。
「エースが一発かましてくれたからさ、それでスッとしちゃって。すごく助かった。だからありがとう」
 ファイティングポーズを取った後、エレメンタリースクールに通う子供みたいな笑顔を見せるアヅサの言葉は捻くれたところが全然なくて。
「……そこまで感謝してくれるならなんかくれてもいいんじゃね?」
「現金だなあ。お礼の言葉くらい素直に受け取ってほしいんだけど」
「うっせ」
 女子と仲良くなんのはミドルスクールでのことがあって正直だるかった。嫌いとかじゃねーけど、当分は男同士で遊んでる方が気楽だと思ってたし、そういう意味では男子校であるナイトレイブンカレッジは丁度よかった。
 なのに、ここで初めてできた友達はコイツで。第一印象はふてぶてしい奴だったけど、今はまあ、そうでもないっつーか。一緒にいて、飽きねえなって思う。
「あ」
 ようやく見つけた。こちらに背中を向けており、オレのことには気づいていないようだ。
 脅かしてやろうとこっそり近づいて肩を叩く。
「こんなところで何してんの? 迷子の監督生ちゃ――」
 びくりと肩が跳ねて、くるりと振り向いたアヅサの薄灰色の目から。
 ぽろぽろと、水滴が落ちていく。
「っ、え、エースか。びっくりした」
 すぐさま目元を拭ったアヅサがへらりと笑う。
「途中までは多分大丈夫だったんだけどね。お腹空かせたグリムが駆け出していっちゃって。追いかけたんだけど見失ってさぁ。やっぱり迷子になっちゃった。もしかして、探しに来てくれた? だとしたらなんか奢らないとね。そういう約束だったし……あ、でもあんまり高いの勘弁……」
 珍しく饒舌なアヅサの手を、思わず握る。アヅサは目を丸くしてオレを見つめた。目が合うや否や俯いたけど。
「エース、あの、何かな」
「パーティー会場、行くんだろ。連れてってやるから」
「いやでも、手が」
「また迷子になりたいなら別にいいけど?」
「う、それは、困る」
「だろ? ほら行くぞ」
 手を引いて歩き始めれば、アヅサも慌てて足を動かす。
 戸惑う視線を後頭部に感じるが、正直今はそれどころじゃなかった。
 ……泣いてた、よな。泣くんだ、コイツ。当たり前か。だってコイツは、異世界から来たってだけで魔法も使えない普通の女の子なんだから。……そう、女の子だ。
 女子に泣かれると面倒だと、いつも思ってた。すぐこっちを悪者扱いにして責めるし。お前らだって、自分の意見押し付けてばっかじゃんって。そう言い返せばより泣かれるし責め立てられる。
 なのに、アヅサに泣かれると胸の奥がざわざわして落ち着かない。手を取ってしまったのはほぼ無意識だったけど、本当は。
「エース」
「っ何?」
 少しだけ声が上擦った。アヅサは気にしてないのか、それとも気づいてないのか。特に言及しなかった。
「本当に、探しにきてくれたね」
「そりゃ、まあ、タダでジュースとかお菓子とか食えるわけだし? 迷子一人探すくらい余裕っつーか」
「正直、すごく不安で。連絡取る方法もないから、どうしようって。だからね、エースが来てくれてびっくりしたけど、それ以上にすごく嬉しくてほっとした。探しに来てくれて本当にありがとう」
「……大げさ」
「かもしれないね」
 アヅサがオレの手を握り返す。小さくて細くて、なのに柔らかい。
 あーー、胸の音がうるさい。
「また、こんなことがあったら探しにきてやってもいいぜ。もちろんお礼はもらうけど」
 聞こえないふりをして、普段通りを振る舞う。鈍いコイツなら誤魔化せる。
「うん、待ってる」
 ほんの少し低くて、なのに出会った頃よりもずっと柔らかで優しい声が、いとも容易く『普段通り』をぶち壊した。
「かっ……」
「か?」
「何でもねーよバ監督生! あーあ、腹減ったなー。誰かさんが迷子になるから何にも食べてないんだよねー」
「も、申し訳ない……」
「寮長も怒ってたぜ? 首を刎ねられるかもな」
「マジか……」
「しょうがねえから、アヅサは極度の方向音痴で迷子になってましたーってきっちり説明してやるよ」
「絶対やめて恥ずかしいから!」
 ああ、クソ。気づいた。気づいてしまった。
 思えばここ最近ずっと、考えることのほとんどがコイツのことばかりだった。
 オレに向けられる表情も、声も、言葉も、何もかもが気になってしょうがない。
 本当は泣いてた時、手を繋ぐんじゃなくて抱きしめたいって思った。
 オレを待つ、なんて健気なこと言われたら可愛いに決まってる。
 ガールフレンドなんて当分こりごりだって、そう考えていたのに。――オレ、アヅサのこと好きだ。
 認めるのは癪だけど、頭の片隅にあった妙な違和感が消えてすっきりした。意地張るほどガキじゃない。短い期間とはいえ、アヅサといれば嫌でもわかる。コイツは癖の強い奴に好かれやすい。デュースは言わずもがなだし、寮長やトレイ先輩、ケイト先輩にだって気に入られている。……恐らく、そういうのは増えてくる。この学園はそんな奴らばかりだから。
 誰であれ、アヅサを奪られるのは嫌だ。だから絶対に、他の奴らよりも先にオトす。
「おいアヅサ、エース! お前ら遅いんだゾ! 待ちくたびれちまったじゃねーか」
 パーティー会場に戻るとグリムに出迎えられた。アヅサを置いて先に着いてた奴の態度じゃない。
「アヅサちゃん、迷子になってたんだって? 大丈夫だった?」
「え、なんでそれ……」
「グリムから聞いたんだよ。お前が方向音痴で迷路が苦手だって。迎えに行ってやればよかったな」
 ケイト先輩とトレイ先輩の言葉を聞いたアヅサがグリムに目を向ける。うわー、顔めっちゃ顰めてるじゃん。オレがバラす前にグリムにバラされるとはご愁傷様。
「グリム、私が方向音痴だって知っておきながら先に行って、待ちくたびれたとか抜かして、おまけに先輩方に余計なことを教えたんだ?」
「ふなっ!? あ、アヅサ、落ち着くんだゾ……」
「問答無用! もふもふの刑に処す!」
「ぎゃああああああ! やめろー!!」
 アヅサがオレの手を離して、グリムを引っ掴む。
 離れていった体温が名残惜しい。
「ふーん、随分仲良しさんで帰ってきたんだね?」
 ニヤニヤ笑うケイト先輩に、オレも笑顔を返す。
「まあ、オレと監督生の仲なんで? 羨ましいですか?」
「うわ、生意気〜!」
「お前たちは本当にいい友達だな」
 残念ながら『友達』だけで終わるつもりはないんすよ、トレイ先輩。
 なんて余計なことは言わない。わざわざ喧嘩を売るなんて、デュースじゃあるまいし。
「アヅサ! よかった。無事着いたんだな」
「デュース、ごめん。心配かけた。やっぱり迷子になっちゃって……」
「方向音痴なら仕方ないだろ。それで? グリムにおしおき中か?」
「そうだよー」
「ふなああああ! もふもふするなー! 毛並みが乱れる〜!!」
 さてと。厄介な先輩相手にしてないで、オレもアイツらのところに行きますか。
 
 例えお前がどこにいても、オレが一番最初に見つけて連れて帰ってやるから。
 安心して、オレの隣で笑っててくれよ。