ブラウン・シュガー・ブレイス(ラギー) - 1/5

01 真心こめて、つくりましょう
 
 キッチンに立つと、小さい頃に聞いたお母さんの言葉を思い出す。
「お母さん、ご飯作るの好きじゃないの」
 ぐつぐつと音を立てる鍋の中身をお玉でかき混ぜながるお母さんの横顔は、少し寂しそうだった。
 幼心に理由を聞いてもいいのか迷って、やはりどうしても気になったので「どうして?」と尋ねた。
「それはね――」
 その先は、思い出せなかった。
 

◇◆◇

  ナイトレイブンカレッジ図書館。
 ふよふよと様々な本が宙に浮かぶこの場所は、ファンタジー小説に出てきそうな魔法の図書館という感じがして好きだ。
「……あった」
 料理関連の書籍が並べられた棚から取った本に、お目当てのレシピは載っていた。
 意外なことに、ここには料理本がたくさんある。生徒の自立をサポートするためらしい。
 料理を学べる授業まであるぐらいだから、なかなか本格的だ。
 レシピに書かれた材料を、授業で使っているノートの一番最後のページにメモし、その部分だけ小さく千切った。
 本はこのまま借りていくことにする。貸出手続きを済ませて、次に向かうのは購買部だ。
「やあ、いらっしゃい。小鬼ちゃん。何をお求めかな?」
 出迎えてくれた店主のサムさんに挨拶をして、先ほどとったメモを見せる。
「これ、ありますか」
 メモを受け取ったサムさんは、それに目を通してにっこり笑う。
「In stock now! 少し待ってて。持ってくるから」
 学校の購買部といえば学用品ぐらいしかないイメージだったが、ここに来てからそれはぶち壊された。
 逆に何がないのか気になるほど、このお店には何でもある。
 私はここで生活に必要なものやお菓子ぐらいしか買ったことはないが、今のところ欲しいと思ったものは大抵商品として存在しているので困っていない。
 きっと知らないだけで、とんでもなく珍しいものや面白そうなものもあるんだろうなと思うと少しわくわくする。
「お待たせ小鬼ちゃん。ご注文の品だよ」
 戻ってきたサムさんがカウンターに袋を置いた。中を覗くと、メモに書かれたものが全て入っている。
「ありがとうございます」
「美味しく作れるといいね」
「……頑張ります」
 提示された代金を支払って購買部を後にする。
 次は……少し迷ったけれど、学校の厨房を借りることにした。こちらの方が鏡舎に近いし、グリムにも気づかれずに作業できる。
 ――グリムは今、エースやデュースと一緒にハーツラビュル寮にいるはずだ。美味しいお菓子でもいただいているんじゃないだろうか。羨ましい……が、そうなることをわかっていてグリムを二人に預けたのは私だ。
 今回作ろうと思ったのは彼のため、と言っても差し支えないと思う。
 昼間は生徒で賑わう食堂も、今の時間は誰もおらずしんとしている。その奥にある厨房で働くゴーストシェフ達もいないので、気兼ねなく腕を振るうことが出来そうだ。
 購買部で買った材料を一つ一つ取り出し、借りてきた本を開く。
 玉ねぎを手に取り、みじん切りにした後飴色に変わるまで炒める。
 ひき肉と溶き卵、調味料を手でこね、先ほど炒めた玉ねぎとパン粉を混ぜ合わせる。
 形を整えればタネの完成だ。
 ぶっちゃけこの状態で焼いてハンバーグにしたいところだが、今回作るのはさらに手を加えたもの。
 なのでタネに小麦粉をまぶし、卵水につけてから、パン粉をまんべんなくまぶして油で揚げる。――メンチカツの出来上がりだ。
 サンドイッチ用にカットされた食パンの片面に薄くマスタードを塗り、メンチカツにもウスターソースを薄く塗る。
 キャベツと一緒にメンチカツをパンに挟めば、私特製メンチカツサンドの完成だ。
 グリムのために作ったこれは、本来彼が望んでいるものではない。
 グリムが本当に食べたいのは、月に一度出張販売に来る麓の町のベーカリーが提供する人気ナンバーワン商品『デラックスメンチカツサンド』だ。
 一応手に入れることは出来たものの、訳あってそれを口にすることは叶わなかった。
 それがいまだにショックらしく、時折悲しそうに呟いているので少しでも慰めになればと今回作ってみたのだった。
 作り手の特権、ということで温かいうちに出来たてを試食する。
「うん、悪くない」
 メンチカツなんて初めて作ったが、なかなかの出来映えだ。少なくとも不味いと突き返されることはないと思う。
 少し冷ましてからラップに包んで持って帰ろうと、待っている間に後片付けを済ますことにした。
 生ゴミを処理してから、使った調理道具を洗い、ほどよく冷めたメンチカツサンドをラップに包んだ矢先。
「あれ、監督生くん?」
 聞き覚えのある声に呼ばれてそちらに顔を向ければ、ぴこぴこと動く大きな丸い耳に目がいった。
「こ、こんばんは、ラギー先輩」
「こんばんは。……何持ってるんスか、それ」
 まさかこの人に出会すとは、偶然にもほどがある。
 サバナクロー寮の二年生で、寮長のレオナ・キングスカラー先輩の側近ともいえるこの人……ラギー・ブッチ先輩は、グリムがデラックスメンチカツサンドを食べ損なった原因そのものである。
「あー、えっと、メンチカツサンド、です」
 隠すことでもないし素直に白状する。
「メンチカツサンド? 監督生くんが作ったんスか?」
「そうですね。今日の晩ごはんにでもしようかなと思って」
「へぇ、料理できるんスね」
「まあ、一応」
 興味深そうに私の手の中にあるメンチカツサンドを見つめてくるラギー先輩。
 嫌な予感がするなぁ……。
「監督生くん、お願いがあるんスけど」
「なんでしょうか」
「そのメンチカツサンド、一つくれない?」
 ほら、やっぱりね。
「タダっていうのは、ちょっと……晩ごはんなんで……」
「そうッスよねぇ。じゃあ交換にする? ほら、グリム君とした時みたいに」
 にんまり笑いながら言われた条件に口元が引き攣る。もしかしなくとも、私がこれを作った理由を察しているんじゃないだろうか。
「交換、ですか」
「そう。今からレオナさん用に軽食作るんで、一緒に用意するッスよ」
 なるほど。だから厨房に来たのか。
 ラギー先輩が料理上手なのは、サバナクロー寮にお世話になった時に知った。
 レオナ先輩に言われて夜食を作るのはしょっちゅうらしい。
 食べたことはないが、あのレオナ先輩が食べているのだから美味しいのだと思う。
「……それなら、いいですよ」
「じゃあ、ちょっと待っててくださいよ。すぐ作るんで」
 先輩は厨房の冷蔵庫を開き食材を吟味した後、いくつか取り出していく。
「勝手に使って大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。少しぐらいなら問題ないッスよ。バレたことないし」
 暗に無断使用だと言われた。何も聞かなかったことにしよう。
「まずは〜……っと」
 白菜とウインナーを切った後、フライパンにマヨネーズを入れて熱し、切った具材を炒めていく。
 これだけでも充分美味しそうだが、完成ではないらしい。
「仕上げにこれを入れりゃ……」
「……めんつゆ?」
「そ! 万能ッスよね、これ」
 白菜がしんなりとしてきたら、希釈しためんつゆを加えてさっと煮込んだ。
「はい完成」
「……美味しそう」
 ふわりとお出汁のいい香りが食欲をそそる。
「監督生くん、器とか持ってきてないッスよね。貸してあげる」
「えっ、ありがとうございます」
 先輩は持参していたタッパーに料理を詰めてくれた。サービスが利いてるなぁと思ったのも束の間のことだった。
「貸し一つね」
「……」
 そんなことだろうなと思いましたよ。
「先輩、これどうぞ」
 タッパーを受け取り、メンチカツサンドを渡す。
「いただきます」
「今食べるんですか」
「ちょうど小腹も空いてるんで。駄目ッスか?」
 こてんと首を傾げる姿があざとい。ちょっと可愛いとか思ってしまった。
「……別に、それはもう先輩のものなので、お好きにどうぞ」
「じゃあ遠慮なく」
 先輩はラップを剥がして、メンチカツサンドにがぶりと噛みついた。
 僅かに見えた犬歯の鋭さが、この人は獣人なのだと実感させられる。
「……ふうん」
 何、その反応は。
 好みの味じゃなかったのだろうか。いや、ラギー先輩の好き嫌いとか気にしてどうする。交換しようって言われたからそうしただけだ。そこまでは保証できない。
「……私、帰りますね。タッパー、明日には返せるようにします」
 文句を言われたくなくて帰ろうとすれば「監督生くん」と呼び止められた。
「貸しのことなんですけど」
「貸し……これの?」
 片手に持ったタッパーを少しだけ掲げれば、先輩は頷いた。
「そうッス。そのタッパーに、監督生くんの手料理詰めて返してくれません?」
「ええ?」
「それでチャラにしますから。ね?」
 後になって無理難題を押しつけられるよりはマシかもしれない。
「わかりました。それで、いいなら」
「じゃあ明日のこの時間、この場所で待ってるんで」
「はい。……あの、ラギー先輩」
「ん?」
 美味しかったですか?
 そう聞こうかどうか迷って――
「えっと、あ、嫌いな食べ物とかありますか」
「腐ってなけりゃ何でも食うッスよ」
「そう、ですか。……それじゃ、また明日」
 結局聞くのは止めて、ぺこりと頭を下げてから厨房を後にした。
 どちらでもいい、と思ったのにどうして気になったんだろう。
 自分の料理を家族とグリム身内以外に食べてもらうのは初めてだったから?
 よくわからない反応された後にご飯作ってこいって言われたから?
「……やっぱり聞けばよかったかなぁ」
 もやもやと胸の奥で燻る思いを吐き出すように、そっと溜め息を漏らした。
 

◇◆◇

  彼女を初めて認識したのは、植物園にレオナさんを呼びに来た時だった。
 レオナさんの機嫌を損ねるなんてどこの間抜けかと思えば、噂の『監督生』だとすぐに気がついた。
 入学式で暴れたというモンスターを連れていたし、雌の匂いをさせていたからだ。
 魔力なしで、女で、身元不明。なのに特例で入学した。そんな境遇からかあまりいい噂は聞かなかったし、俺自身もなんとなくいけ好かないと思っていた。
 明らかに弱そうで鈍臭そうなぼんやりした女。学園長や友人に守られて当然のように澄ました顔をしている。温かい寝床と美味しい餌が与えられることが当たり前の日常で生きてきた家猫のようだ。
 そんな彼女に対する認識が少し変わったのは、マジフト大会直前にレオナさんがオーバーブロットした時のこと。
 あっという間に何もかもを砂に変えてしまえるほど暴走していたあの人を前に、彼女は逃げなかった。
 ジャック君たちと共に前線に立ち、グリム君をサポートし続けたのだ。
 ……鈍臭い、という認識はグリム君にマジフトのディスクをぶつけられて気絶した姿を見て改めることはなかったけど。
 それから少し経って、オクタヴィネルにオンボロ寮を差し押さえられたといってサバナクローうちにやって来た時もそうだ。
 レオナさんの部屋に居候し、協力しなければ毎朝騒ぎ立てると脅して、あの人の重い腰を上げさせたのだから。
 騒音なんてレオナさんが一回吠えれば彼女もグリム君も怯えて逃げ出すだろうし、アズール君と交わした契約とやらも上手くやれただろうに、どうして協力なんてしたのか。
 本人に聞いても「さあな」なんて曖昧な答えしか返ってこなかった。
 彼女がうちで過ごした三日、レオナさんとの間に何があったのか。
 レオナさんに聞いて濁されるなら、彼女に確認すればいい。
 そしてそのチャンスは、幸運なことに巡ってきた。
 レオナさんのおつかい――もといパシりで軽食を作りに行く途中、彼女を見かけた。
 珍しいことに一人で行動しており、片手には本、もう片方は荷物で膨らんだ袋を提げていた。
 仲良しこよしなトランプ兵二人エース君とデュース君がいない今なら、彼女に近づくの簡単だろう。
 気づかれないようこっそり後をつけると、俺の目的地でも合った食堂へと入っていく。
 この時間なら生徒どころか厨房のシェフゴーストたちすらいないはずだ。
 案の定、中に入れば誰もいない。けれど、厨房の方から何か音が聞こえてくる。
 覗き込めば、彼女が本と睨めっこしながら料理をしているのが見えた。
 ……料理、するのか。まあ、黙っていれば勝手に飯が出てくるなんて世間知らずのお嬢様みたいな考えはしてないことぐらいわかる。けれど普段どこかぼんやりした様子の彼女が、本を見ながらではあるが危なげない手つきで野菜を切ったり肉をこねたり火を扱っているのは意外だと思った。
 作っていたのはメンチカツサンドらしい。それで察した。あれはグリム君のために作られたものだと。
 食べ物の恨みは恐ろしい、とはよく言ったものだ。かなり根に持っているのだろう。その様子を見て作ってやろうとでも思ったのか。いかにもお人好しの彼女らしい。
 出来たてのメンチカツサンドをぱくりと一口食べて、彼女は顔を綻ばせた。
 ……一口小っさ。食べるの下手かよ。おまけにあんなふにゃふにゃ笑っちゃって。いつもはやたらと無愛想なくせに。
 見てるこちらまで笑いそうになって、口を押さえる。……いや、別にここまで来たらバレてもよかったか。話しかけるつもりだったのだから。大体、作り終えるまで隠れてるなんてらしくもない。出来る限りさっさと声をかけて用件を済ましてしまえばよかったのに。
 それでも何故だか今の彼女に声をかけるのは憚られて、結局彼女が片付けを終えるまで見守る羽目になった。
 俺に見つかった彼女はあからさまに動揺していた。そりゃそうだよな。俺とグリム君との正当な交換を原因だと思ってるだろうし。
 だから彼女とも交換することにした。料理の腕にはそれなりに自信がある。
 肉と野菜を調味料と一緒にさっと炒めて煮ただけのシンプルなものだが、これがなかなかに美味い。
 彼女は作っている間、じっとフライパンを見つめていた。心なしか、薄い灰色の瞳がきらきらしているように見える。
 出来上がった料理に「……美味しそう」と呟いて、持ってきたタッパーに詰めてやればほわりと笑った。
 自分の作ったものをそう言ってもらえるのは悪い気はしない。けれど胸の奥がむず痒くなって誤魔化すように貸し一つだと言えば、柔らかな微笑みが見慣れた苦笑いへと変わった。
 どうぞ、と手渡されたメンチカツサンドを早速食べようとすると困った顔をされた。
 彼女が味見していたのは知っている。味に問題はないはずだ。……不味くても食べるけど。勿体ないし。
 あざとらしく首を傾げてみせれば、好きにしろと諦めたようだった。なるほど。こういうのに弱いのか。今後も使っていこう。
 メンチカツサンドを齧りつく。味は特別美味しいわけでもないが、不味いわけでもなかった。普通に美味しい、という表現が一番当てはまる。
 そのはずなのに、このメンチカツサンドを悪くないと思った。
 特別なことをしていた感じではなかった。材料だってそうだ。
 わからない。だからこそ、どうしても気になって。
 帰ろうとする彼女を呼びとめて、料理を作ってきてほしいなんて口にしていた。
 彼女は困惑しながらも、タッパーの貸しだと言われて頷いた。
「……あの、ラギー先輩」
「ん?」
 彼女は物言いだけに何度か口を開き、視線を彷徨わせた。
「えっと、あ、嫌いな食べ物とかありますか」
「腐ってなけりゃ何でも食うッスよ」
「そう、ですか。……それじゃ、また明日」
 力無く笑った後、小さく会釈して去って行く彼女の背中を見送る。
 恐らく別のことを聞きたかったのだろうが、流石に何を知りたがったのかはわからなかった。
「また明日、ね…….」
 何でもいい。もう一度彼女の手料理を食べればきっと何かわかるはず。
 腹の辺りがもやもやしていたが、レオナさんからかかってきた催促の電話の所為でそれどころではなくなった。