今宵はここまで、(エース・トラッポラ)

 君と喧嘩した日の夜は、談話室で過ごすと決めている。そうすれば、合鍵を使って入ってきた君の不貞腐れた顔を、すぐに見られるからだ。
「……よお」
「……どうも」
 気安い挨拶に素気なく返せば、ますます不満げな顔つきになる。居心地悪そうに頭の後ろを掻きながら、私の隣にどっかり腰掛けた。
 手を伸ばせば届くけれど、肩が触れ合うことはない微妙な距離感を保ったまま、沈黙だけが辺りを支配する。
 先に切り出したのは、向こうだった。
「あのさ」
「うん」
「俺、間違ったこと言ってねーから」
「うん」
「だから、そのことに関しては謝んねーよ」
「うん」
 そう言われると思っていたから頷く。彼は口が悪いけれど、大抵理に適ったことを言うのだ。その場の雰囲気や流れを察して上手く行動しながらも、自分が納得できないことは断固として流されない。
 だから彼との喧嘩に理不尽だなと思うことは少なく、大抵互いの意見のぶつけ合いだ。
 彼にとって譲れないもの、私にとって譲れないもの。それを弾丸のように撃ち合うだけ。
「けど……ちょっと、きつく言い過ぎたな、とは思うから。それは…………ごめん」
 最後の言葉だけは消え入りそうな声で呟く君の顔を見つめる。そっぽを向いた横顔はどこかばつが悪そうで、耳まで赤く染まっていた。
「私も、ちょっと言い過ぎた。ごめんね、エース。仲直りしよ」
「……ん」
 僅かばかりの空白を埋めるように寄り添って、彼の肩に頭を預ける。手品やバスケをこなす器用で大きな手が、私の手をぎゅっと包み込んだ。
「なぁ、泊まっていい……?」
「首、刎ねられちゃうよ」
「今から帰る方がリスク高ぇよ。抜け出したのバレんじゃん」
「だから、朝帰り?」
「そうだよ。早起きして軽く体動かしてましたーとか言えば、誤魔化せるし」
「嘘つき」
「……嘘にしなけりゃ、いいんじゃね」
 握られた手がゆっくりと離れて、長い指が手の甲を滑る。
「オレを嘘つきにしたくねーならさ。……運動、付き合ってよ」
 頭の上に降ってきた吐息は、やがて小さなリップ音へと変わる。心地いい、けれど。
「明日も授業あるから駄目」
「オレが寮長に首刎ねられてもいいのかよ」
「わりとしょっちゅうやられてるでしょうが」
「お前と早く仲直りしたくて、危ない橋渡ってきた彼氏を労る気持ちはないわけ?」
「そもそも喧嘩しなければ渡る必要ない橋なんだけど」
「っだーもう、ああ言えばこう言う……わかった。わかったよ。帰ればいいんだろ、帰れば……」
 立ち上がろうとする彼――エースの服の裾を掴む。
「何」
「別に、帰れとは言ってないよ」
「は?」
「運動はしないけど、泊まっていくのはいいよ」
「……いや、生殺しじゃん」
「うん?」
 ぼそりと呟かれた言葉が聞き取れなくて問い返すと、深い溜め息をつかれた。
「エース?」
「……部屋、借りる」
「うん、わかった」
 ぶすくれた顔の彼の腕を掴んだまま立ち上がり、空き部屋へと案内する。
「おやすみ」
「はいはいオヤスミー……!?」
 いまだに不機嫌そうな彼の、普段は真っ赤なハートが描かれている頬にそっと唇を寄せた。
「い、いい夢を!」
 居たたまれなくなって捨て台詞(?)を残してから、ダッシュで部屋へと戻る。……もちろん、床に穴を開けないよう慎重に。
 そしてすぐさま鍵を掛けてから、布団の中に潜り込んだのだった。

「……っんと、ずりー奴」
 瞳の色に負けないくらい、顔をさくらんぼの色に染め上げてその場にしゃがみ込む彼の姿を、もちろん彼女は知る由もない。

2023年9月10日