ルート解放により攻略を開始します(イデア・シュラウド)

 中庭を歩いていると、誰かの声が聞こえた気がした。周囲を見回すが、人の気配はない。
 ゴースト、だろうか。なんて考えているとまた話し声が聞こえてくる。……茂みの方だ。
 なるべく気配を殺して、恐る恐る近づく。そっと覗き込むと――青白い炎が、揺らめいていた。
「ルチウスた〜ん、ほら、きみの大好きなおやつでしゅよ〜」
 張りのない低い声が、魔法史教諭が大事にしている使い魔の名前を呼んでいる。透けそうなくらい白い手に握られているのは、細長い袋に入ったペーストタイプの猫用おやつだ。
「よちよち、いい子でしゅね〜。では本日もそのぷにぷにの肉球、堪能させていただきますぞ〜」
 猫撫で声で猫を愛でているそのひとには、見覚えがあった。確か、イグニなんとかの寮長さんだ。基本的にタブレットの姿(?)しか見かけたことがないが、時折出歩いていると他の生徒たちが物珍しげに噂をし始めるので記憶に残っていた。
 それはまあともかく、ゴーストではなかったことに胸を撫で下ろしたところで静かにその場から立ち去ることを決める。……多分これは、人に見られたくない場面だろう。
 しかし無情にも、踏み出した足の下には小枝が落ちていたようで。ぱきりと、小さな音を立てた。
 それに気がついたのだろう。美しくもどこか不健康さを感じる顔が、こちらを向いた。
「………………見た?」
 周りが静かだったため、かろうじて聞き取れるほどの小さな声だった。正直に頷くと、ただでさえ白い顔からますます血の気が引いていく。
 それからぶつぶつと何かを呟いたかと思うと、身を隠すように蹲ってしまう。
「あ、あの、大丈夫ですか……?」
「大丈夫だとお思いか? どこからどう見ても大丈夫じゃないでしょ……わかりきったこと聞かないでほしいものですなぁ……」
 わー、お口わるーい。この世界に来てからはなんかもう珍しくないので怒りとか湧き上がらない。
「はぁ……最悪……拙者のネコチャンハスハスタイムを他人に、しかも女子に見られるとか……この後マジカメで拡散されて笑いものになるオチが見えてる……つら……」
「しませんよ……」
 そんなことする理由がないし。
「……あー、えっと、猫、好きなんですか?」
「エッ、ア、ハイ」
「私も、好きです」
「ファッ!?」
「猫、可愛いですもんね」
「……あ……猫、ね……ハイハイ……」
「……あの、誰かに言ったりとか、しないので。そ、それじゃ、失礼します……」
 ぺこりと頭を下げて、そそくさとその場を去る。居たたまれない現場を見てしまった申し訳なさがすごいのと、場を和ませる言葉が思い浮かばなかった。
 やっぱり、興味本位であれこれ覗いてみるものじゃないな……と痛感したのだった。

◇◆◇

 異世界出身。女の子。魔法が使えない。もふもふの相方がいる。厄介事に巻き込まれがち。その厄介事を持ち込んできた相手を手懐けるスキル『人誑し』持ち。
 こんな属性過多のヒロイン、現実に存在します?
「しちゃうんですよな〜……」
 モニターに映る『ヒロイン』の姿を観察しながら、溜め息をこぼす。
 オンボロ寮の監督生、と呼ばれる彼女と会話をしたのは初めてだった。遠目で見ることはあったが。
 ギャルゲーの攻略キャラならともかく、現実で女の子と関わるなんてあまりにも無理ゲーすぎる。いつも陽キャ集団に囲まれてるし。
 けれど話してみた限り、あの子もどちらかというと陰の者な気がする。まあだからといって仲良くできるわけないんですけどね! 陰キャと陰キャが集まったところで対面会話スキルがなけりゃ進展なんかゼロ! ゼロには何掛けたってゼロ! はい終わり!
 なのにさぁ、向こうは人誑しスキル持ちなわけですよ。だから軽率にあんなこと言ってくる。

「私も、好きです」

 これだからヒロイン属性は。思わせぶりな台詞にもほどがあるでしょ。拙者が数多のギャルゲーを攻略せし猛者でなければイチコロでしたぞ。
 つやつやの髪揺らして、ぱっちりお目々を優しく細めて、あんな簡単に――好き、とか。
「……フヒヒ」
 ここまでベタなヒロイン、一周回ってむしろ推せるわ。拙者の腕にかかれば、スチル集めとか余裕だし? ボイスだってコンプできますし?
「そうと決まれば小型ドローン……手持ちのパーツでいけるか……」
 部屋に転がったパーツをかき集めて、早速作業を開始する。少しでも早く、あの子の姿を、声を、残せるものを用意しなければ。――そしてできれば、もう一度だけ。好きだと、言ってほしい。
「フヒッ! なんちゃって! キモオタでサーセン!」
 そして全てが出来上がる頃。深夜テンションだったことへの羞恥と自己嫌悪に苛まれながら、ドローンの電源を入れることになる。

2023年7月7日