楽土の荒地。ここには、キタカミの里に伝わる昔話が綴られた最後の看板がある。
矛盾した地名と看板の内容は、どこか空恐ろしい気持ちにさせた。
「アヅサ」
突然名前を呼ばれて振り返る。岩陰に立つ彼の顔は、よく見えない。
「……スグリ、くん?」
「おれ、ここの看板に書かれてるの好きじゃねえって言ったの……覚えてる?」
「うん」
もちろん、よく覚えている。あの時の君は、なんだか刺々しくて。その原因が私なんだろうなって気づいて、つい謝罪を口にした。……君には、届かなかったけれど。
「でもな、今ならわかる気がすんだ」
「……何を?」
「これは、鬼さまへの単なる悪口なんかじゃない。……警告なんだ、って」
黄昏時、村の外で向こうから
歩いてくる影があったなら気をつけよ
「この世には、こわいものがたくさんあって」
すぐさまお面をかぶって
みずからの顔を隠しなされ
「そういうものと出会ったとき、どうすればいいのか教えてくれてる」
さすれば影が人であれ鬼であれ
お面同士会釈して通り過ぎるのみ
「……スグリくん、そこにいると……顔が、見えない」
「おれには見えてるよ。アヅサの顔」
心臓が、嫌な音を立て始める。じわりと汗ばみだした掌をぎゅっと握り締めた。
「アヅサ、もうじき日暮れだ。……帰ろ?」
伸ばされた手。いつもなら、迷わずに取る。
もしお面を持たざるときあれば
影が人であることを願いなされ
「アヅサ、なした?」
その影人であればよし
二度とお面忘れるべからず
「……スグリくん、だよね?」
「なんじゃ、それ。変なこと聞くな」
くすくすと笑う声。控えめなそれは、君らしいのに。
「ほら、帰ろうよ」
その影が鬼であれば最期
真の面を覗きこまれたなら
「つかまえた」
岩陰から出てきた彼の手が、私の腕を掴む。思わず息を呑んで――意を決して、口を開いた。
「……スグリくん、わざとでしょ」
「何が?」
明るい黄色の瞳が、楽しそうに瞬く。深く息を吐くと、労るように空いている方の手でそっと背中をさすられた。
「だって、アヅサがおれに内緒で出かけんだもん。探すの大変だった」
「な、内緒にしたつもりは……ちょっとした散策のつもりで……」
「昼間っから日暮れまで出かけんのは、ちょっとした散策か?」
「……」
何も言い返せなくて黙り込むと、掴まれた腕を軽く引っ張られる。
「ほら、帰ろ。ばあちゃんがご飯用意して待ってるべ」
「うん。……迎えに来てくれてありがとう」
横に並んで、手を繋ぎ直す。照れくさそうに頬を染めたスグリくんは、柔らかく微笑んだ。
「うん……おれ、アヅサがどこにいても迎えに行くから……」
ずーっと、一緒にいような?
その者魂を抜き取られ
二度と村へは帰れぬだろう
真の面は、はたしてどちらか。
それは、少年のみが知っている。