小さな背の頼もしさ(多賀根五十鈴)

 今日は朝から夢ノ咲学院で仕事があり、ESビルに着いたのはお昼頃だった。玄関口の影のかかる辺りで折りたたみの日傘を閉じて鞄に仕舞おうとした矢先、ふと視界に映った人物の姿に手が止まる。
「……五十鈴、さん?」
 ミルクティーブラウンの髪をツインテールにしたその姿は、紛れもなく彼女だろう。しかし、その傍には見慣れぬ男性がいる。年齢は恐らく二十代後半から三十代前半ぐらい。やたらと馴れ馴れしく彼女の肩や背中に触れている。
 五十鈴さんは微笑んでいるが、どう見ても社交辞令じみたものだった。……もしかしなくとも、困っているのでは……?
 私は深呼吸をして、五十鈴さんの元へと足を進める。
「五十鈴さん」
「! あづさ、ちゃん……」
 こちらに気づいた五十鈴さんの黄色みがかった紫色の瞳が揺れる。
「何? どちら様? 君もコズプロのアイドル?」
 じろじろとこちらを見定めるような目を向けてくる男を見据える。
「P機関の者です。彼女に用事がありますので、失礼させていただきますね」
 五十鈴さんの手を引いてその場を去ろうとすると、男は「ちょっと待てよ」と遮ってきた。
「俺は今、彼女にお仕事を頼もうとしてたわけ。五十鈴ちゃんがアイドルに復帰して大活躍できるようにするための、とびっきりの仕事をさぁ……それを邪魔するのはよくないんじゃない?」
「はあ……お仕事……」
 ちらと五十鈴さんを見る。ほんの僅かに噛みしめられた唇に、さっさと切り札を出すことに決めた。
「それならご安心ください。私の父が、彼女と仕事の話がしたいと言っていまして」
「は? お前の父親がどうしたって――」
「吉光涼介、というんです。私の父」
 にこりと微笑む私とは対照的に、男の顔色が悪くなる。
「へ、へー……吉光……」
「もうよろしいですか? 失礼します」
 男の返事を聞く前に移動する。今度は、呼び止められることはなかった。

◇◆◇

 少しだけ見える横顔が、冷たく見える。まるでお人形さんみたいな表情は綺麗だけど……ちょっとだけ怖かった。
 ESビル内の人気のないベンチにつくと、彼女がくるりと私の方に体を向ける。
「い、五十鈴さん、大丈夫ですか……?」
 へにょりと眉を下げて、私を気遣うように恐る恐る声をかけてくれる姿を見て――思わず泣きそうになった。
「あ、いや、その、余計なことかなとか思ったんですけど、五十鈴さんが困っているように見えて……あ、父のことはその、はったりなんですけど……でもその、五十鈴さんさえよければ父から仕事の話を通すように、お願いします。そうすれば、あの人も変に絡んできたりとかしないかもだし……!」
 おろおろと早口で話すあづさちゃんと繋いだままの手をぎゅっと握り締める。
 口を閉じたあづさちゃんが、そっと私の頭を撫でてくれた。
「……余計なこと、なんかじゃないよ」
 あの人は、昔お仕事で会ったとあるテレビ局のディレクターさん。……少し、スキンシップが多くて苦手な人だった。今日は仕事でここに来てたみたいで、私に声をかけてきた。最近のこととかあれこれ聞かれて、答えられることがないからやんわり微笑んでいたら、前の時みたいに肩や背中に触れられた。
「まだアイドルやってるんだよね? いい『お仕事』あるよ」
 下手に突っぱねたら、事務所に迷惑をかけるかもしれない。そう思うと何も言えなくて――怖くて。目の前が真っ暗になっていくような感じがして。
「五十鈴さん」
 穏やかな声に名前を呼ばれて、すごく安心した。
 淡々とあの人と会話するあづさちゃんは、いつもとはまるで別人みたいで、私はただただ見ていることしかできなくて。
 だけど、しっかりと繋がれた手から伝わる温かさは……普段のあづさちゃんの雰囲気そのものだったから。
「あづさちゃん、助けてくれて……ありがとう……」
「……五十鈴さんが変なことに巻き込まれなくて、よかった」
 あづさちゃんがぽんぽんと、私の肩や背中を優しく撫でる。……まるで、あの人に触られた部分を清めてくれるみたいなそれに、体がぽかぽかと温かくなった。
 ――後日、あづさちゃんの勧めで七種さんにそのことを相談すると「もう二度と、あなたに関わってくることはないと思いますよ。……相手が悪かったですね、お気の毒に」と笑っていた。どういう意味だろう?