私と僕の恋人が〇〇しないと出られない部屋に閉じ込められました

 気がつくと、見知らぬ部屋にいた。
「? かすみさん……ヒィッ!?」
 隣で共に眠っていたはずの彼女の姿は見当たらず、代わりに横たわっていた人物に思わず悲鳴が漏れる。
「ん〜……あれ、あづさちゃん……?」
 身体を起こしたそのひとはきょろきょろと辺りを見回すと、私に気がついて首を傾げた。
「……あづさちゃんがマヨちゃんになってる……なんで?」
「ししし知りませんよぉ……! というか私はあづささんではなく正真正銘礼瀬マヨイですぅ……!」
 即座に否定すればそのひと――椎名さんはぽりぽりと頭を搔いた。
「僕、あづさちゃんと一緒に寝てたはずなんすけど……ここ、どこっすかね?」
「わ、わかりません。私も気がついたらここにいて……!?」
 困惑する私たちの間に、ぺらりと一枚の紙が落ちてきた。
 天井を見上げるも、そんなものが落ちてきそうな隙間はない。
「なんすかね、これ?」
 何の躊躇いもなく、その紙を拾った椎名さんが書かれていた文字を目で追い始めた。
「? よくわかんない……マヨちゃん、これどういうことっすか?」
「えぇ……?」
 椎名さんに紙を渡されて、私も文面を読んでみることにした。
『ここは、隣の部屋の鍵が開かないと出られない部屋です』
 ……確かによくわからない。続きを読み進める。
『隣の部屋は【どちらかが相手にキスをしないと出られない部屋】になっています。部屋の利用者が条件をクリアできれば脱出可能です』
 もう一度辺りを確認する。どこかESのミーティングルームに似ているが、家具らしきものはほとんどなく、部屋の両端にそれぞれ扉がついているだけだ。一方には表札のようなものがかかっている。
 椎名さんもそれに気がついたのか、表札のある扉の前へと向かった。
「ここが【どちらかが相手にキスをしないと出られない部屋】みたいっすね――」
 どうやら表札に書かれていたらしい。しかし突然、椎名さんがぴしりと凍りついたように固まってしまった。
「椎名さん……?」
 恐る恐る近寄って、椎名さんの目線の先にある表札を見る。部屋名らしきものの下に『利用者』の文字が見えた。
『利用者 来音かすみ 吉光あづさ』
 頭の中が真っ白になる。
 いや、まさか、そんな。かすみさんが、この部屋に? あづささんと? 利用者とはつまり、二人が……キスを、しなければ、開かない?
「……あづさちゃん? いるんすか?」
 固まっていた椎名さんがこんこんと扉をノックして、がちゃがちゃとドアノブを回す。――ドアの向こうから小さな悲鳴が聞こえた。
「……ニキくん?」
 くぐもっているけれど、聞き覚えのある穏やかな声が椎名さんの名前を呼ぶ。
「あづさちゃん!?」
「あー……ほんとにいる……じゃあ、そっちにはマヨイさんもいるのかな……?」
「いるっすよ!」
「マヨくん……!」
 囀るような美しい声が、私の名前を呼んだ。
「かすみさん……!」
「マヨくん、大丈夫? 怪我とかしてない?」
「はい……かすみさんは……?」
「わたしは大丈夫。あづさちゃんも」
 その言葉に安堵して……いや、それはまだ早い。何も解決などしていないのだから。
「二人ともそこに閉じ込められてるんだよね?」
「そうなんすよ。なんか意味わかんないこと書いてあって……あづさちゃんたちがキスしないと開かないとか何とか……」
「うん、なるほど。わかった」
「えっ、何がわかったんすか!? あづさちゃん!?」
 あづささんが驚くほどきっぱりと返事した後、椎名さんが扉を壊しそうな勢いで叩いたりドアノブを何度も回し始めた。
「し、椎名さん落ち着いて……!」
「マヨちゃん、落ち着いてる場合じゃないっすよ! あづさちゃん、妙に潔いとこあるから……多分、かすみさんとちゅーするっす」
「!!!?」
 あ、あ、あづささんが、かすみさんに……!?
「あづさちゃん、僕たちが絶対開けるから! おとなしく待っててね!?」
「か、かすみさん……!? 私たちが、何とかしますからぁ……!!」
 何とか、とは言ったものの具体的な方法など何も思いつかない。鍵穴でもあればどうにかできたかもしれないが、困ったことにこの扉にはそんなものついてはいなかった。なのにしっかりと閉ざされている。
 私たちが必死に呼びかけるも、二人から返答はない。それがまた恐ろしい。この扉の向こう側で何が行われているのか……想像して、くらりと眩暈がしたのもつかの間。
 かちゃり、と扉が軽い音を立てた。
 先ほどまで頻りに扉を叩いていた椎名さんの手が止まる。それを見計らったように、ゆっくりと扉が開いた。
「よかった……開いた……」
 ほっと溜め息をつくあづささんが姿を現し、その後ろをかすみさんがついてくる。
 かすみさんはいつも通り、柔らかく微笑んでいた。しかし、その頬がほんのり色づいて見えるのは気の所為だろうか。
「マヨくん、お待たせ」
「かすみさん……」
 私の方へと駆け寄ってきた彼女を優しく受け止める。中で何があったのか気になるのに怖くて聞けず、ただただ彼女を見つめるだけで精一杯だ。
「あづさちゃん、かすみさんとキスしたんすか……?」
 そんな私とは打って変わって、椎名さんははっきりと問いかける。
「うん、まあ……した、けど……」
 軽く咳払いしたあづささんが、椎名さんから目を背けつつ答えた。
「あづさちゃん。王子様みたいでかっこよかったね」
 ふふ、とかすみさんが笑う。それを聞いて、あづささんは照れ臭そうに頬を掻いた。――その手を、椎名さんが掴む。
「えっ」
 あづささんが驚いた声を上げるのと、椎名さんが彼女を引き寄せたのはほぼ同時。
「ヒィッ!」
 私は咄嗟にかすみさんを抱き寄せ、彼女の目と耳を塞ぐ。……彼女に、こんな刺激的なものを見せるわけにも聞かせるわけにもいかない。
 恋人同士のくちづけというよりは、捕食者が被食者を貪るような目の前の光景に気が遠のきそうだ。
 しばらくして、ぐったりと動かなくなったあづささんを椎名さんが抱きかかえた。
「……マヨちゃん」
「はっ、はいぃぃ!」
「鍵、開いたみたいだし。僕とあづさちゃんは先に帰るっすね」
 声色はいつも通りに聞こえる。けれども、ひしひしと伝わる雰囲気でわかる。……かなりお腹が空いているときの、椎名さんだ。
 たまに追いかけられる身の上の所為で嫌でも理解できてしまう。
 かすみさんたちが出てきた方とは反対側の扉の向こうに消えていく二人を静かに見送っていると、腕の中のかすみさんがもぞもぞと動く。
「あっ、す、すみませぇん……!」
 あまりの事態に思わず力強く抱き締めてしまっていたことに今更ながら気づき、申し訳なくなる。
「ううん、大丈夫。……あづさちゃんたちは?」
「先に帰られましたぁ……」
「そっか。……マヨくん」
「はい……」
「あづさちゃんね、私の手の甲にキスしたんだよ」
「えっ」
 手の、甲?
「場所までは指定されてないから、って、私の手を取って。絵本の中の王子様みたいでしょ?」
「そう、だったんですか……」
 言われてみれば確かに、どこにくちづけるかは書いていなかった。早とちりしてしまった自分が恥ずかしい。
 ……あづささんは、椎名さんに事情を説明できるのだろうか……。
 先程の光景を思い出し、心配になってしまう。……お二人の仲の良さを考えれば、杞憂かもしれないが。
「マヨくん、わたしたちも帰ろっか」
「はい……」
 かすみさんに手を引かれて、扉へと向かう。途端、真っ白な光に包まれて何も見えなくなっていった――。

◇◆◇

 変な夢を見た、気がする。
 寝起き早々ぼんやりとした頭で考えながら身体を伸ばそうとするが、全く動かない。
「……ニキくん……?」
 抱き締められながら眠るのはいつものことだが、今日は些か力が強すぎる気がする。
「ニキくん、ちょっとごめんね〜……」
 謝りながら腕の中から抜け出そうとすれば、ニキくんは呻き声を上げながら拘束を強めた。
「ぐっ、ちょ、ニキくん……」
「う〜〜〜〜……あづさちゃん……?」
 目を覚ましたニキくんは空色の瞳に私を映すと、へらりと安心したように笑う。
「あづさちゃんがいる……」
 何を当たり前のことを言っているのか。
 よくわからないけれど、甘えて擦り寄ってくるニキくんの頭を撫でながら腕の力を弱めてほしいと訴える。
「……あづさちゃんからキスしてくれたらいいっすよ〜……」
「キス……?」
 その言葉に、少しだけ夢の内容を思い出した。私からキスをする夢だった。
「夢の中でも誰かにした気がするなぁ……」
 ぽつりと呟くと、すりすりと甘えてきていたニキくんの動きが止まる。
「…………僕以外と?」
「え? あー……うーん……?」
 ニキくん、ではなかったような。というか、綺麗な女の子だったと思う。
 まるで王子様みたいに、彼女の手を取って――
「あづさちゃんの浮気者ぉ……」
「浮気って、あ、ちょっと、ニキくん!?」
 私の上に乗っかるような体勢になったニキくんが、不満げな顔をして見下ろしてくる。
「おしおき、しないと」
「え?」
 なんだろう。既視感が、ある。
 その夢の中でも、こんな顔をしたニキくんに迫られて。
「っ〜〜〜〜〜〜〜!!!?」
 そして私は、酸欠による気絶という名の二度寝をすることになる。