キューピットちゃんと悪魔おにいさん

「マヨイさん?」
 ふと視界に入ったのは、見覚えのある艶やかな長い紫色の髪だった。
 壁に隠れるようにして立っている彼に声をかけると、びくりと肩が跳ね上がる。
「あづささん……」
「どうしたんですか? そんなところに立って」
「うぅ……その……」
 もじもじと手や指を動かす彼が視線を向ける先を覗き込む。
 まず目に入ったのは、燃えるような赤い髪。
 燐音さんだ、と思ったのも束の間、彼が誰かと話をしていることに気がつく。
 明るい黄色の髪をふわふわと揺らしながら穏やかに笑うそのひと。
――またかすみさんに、変な入れ知恵してるな。
 呆れて溜め息をついてしまう。
 来音かすみさん。私の数少ない女性の友人。そして、マヨイさんの恋人だ。
 かすみさんはマヨイさんとお付き合いをしてからも、その関係を積極的に深めようと努めている。その相談役の一人として、なぜか燐音さんが含まれていた。
 いやまあ、確かに……色々と難はあるが、頼りになるといえばなるので相談する相手としてはいいのかもしれない。ただ、二人というかマヨイさんをおちょくろうと、かすみさんにイロモノめいたアドバイスをすることもあるようだった。
 具体的にいうと、裸エプロンとか猫耳メイドだとか……そういう類いのものである。
 それにああやって絡んで、マヨイさんの嫉妬心を煽るのも楽しんでいるようだった。
「……声、かけないんですか?」
 マヨイさんは困ったように薄く微笑んで、首を横に振った。
 楽しげに会話を繰り広げている二人を遠巻きに見つめながら、マヨイさんが不安に思う気持ちもわからなくもないなぁと思ってしまう。
 かすみさん、美人だしスタイルいいし、色気みたいなものもあるし……好意を向ける人は多いだろう。実際、よくナンパされるみたいだし。
 だけど、かすみさんはマヨイさんのことが大好きだ。それは他人の私から見てもわかる。本人にも伝わっているはず。けど、当事者だからこそ不安にも思うわけで。
「それでは、私がマヨイさんを助けてしんぜましょう!」
「えっ?」
 にっと笑って、戯けた台詞を口にする。
「大丈夫。信じてください」
 マヨイさんやかすみさんを傷つけるような真似はしないから。
「……あづささん……」
 少し不安げなマヨイさんに見送られながら、私はかすみさんと燐音さんの元へと足を向ける。さも偶然通りかかった風を装って。
「燐音さん、かすみさん。こんにちは」
「おっ、あづさちゃん♪」
「あづさちゃん、こんにちは」
 ふんわりとした笑顔を浮かべるかすみさんに私も笑顔を返す。燐音さんにはちょっとだけ冷たい視線を送っておく。
「また変なことをかすみさんに教えたりしてませんよね?」
「してねェよ。なァ、かすみちゃん?」
「うん。今日もね、マヨくんともっと仲良くなるためにはどうすればいいのか、相談に乗ってもらってたの」
 う〜ん……これは教えられちゃってるなぁ……マヨイさん……頑張れ……。
「そういえば、そのマヨイさんなんですけど。さっきお見かけしまして」
「えっ、ほんとに?」
「はい。まだあっちの方にいらっしゃると思いますよ〜」
「……あの、天城さん」
「あァ、行ってこい行ってこい。マヨイちゃんによろしくゥ〜」
 ぺこっと会釈したかすみさんが、私が来た方へと駆けていく。隠れているマヨイさん、ちょっと焦ってるかもなぁ。でもやっぱり、思ってることは伝えた方がいい。マヨイさんの気持ちを、かすみさんが否定することはないだろうから。
「……あっちの方、ねェ?」
「なんですか」
「どうせ、その辺でかすみちゃんのことでも見てたンだろ?」
「誰かさんが不安を煽るようなことするからでしょ」
 もう用事は終わったので、その場を去ろうと歩き出せば腕を引かれて背中から抱き竦められてしまった。
「ひゃっ、ちょっと!」
「あづさちゃんまでどっか行こうとするからだろォ? あ〜あ、折角かすみちゃんと楽しくお喋りしてたのになァ〜」
「……」
「あっ、今ヤキモチ妬いた?」
「妬いてません」
「安心しろって。俺っちにはあづさちゃんしかいねェから♪」
「やーいーてーまーせーんー!」
 全然話聞いてないな!?
 腕の中から抜け出そうと藻掻くも、燐音さんは全く意に介した様子もない。
「そう拗ねンなよ」
「ひっ」
 どことなく甘さを含んだ低い声が耳元を擽る。金縛りにでもあったようにおとなしくなった私を褒めるように、燐音さんは私の髪を指で梳いた。
「今日はとことん甘やかしてやっから。な?」
 頼んでない。頼んでない!
 ふるふると首を横に振っても、燐音さんはくつりと笑うだけ。
 どうしてだろう。可愛い恋のキューピッドになったはずなのに、悪魔に捕まってしまった……。
 機嫌よく鼻歌なんか歌っている燐音さんに捕らわれたまま、私は深々と溜め息をついた。