愛が噛みつく(ラギー・ブッチ)

 その日は久しぶりにエース、デュースとお昼ご飯を食べていた。ここ最近はずっとラギー先輩と過ごすことが多かったので、話題も自然とそのことになっていく。
「アヅサと昼休みを過ごすのは久々だな」
「クラスも授業も一緒で久々も何もねぇと思うけどね〜」
「それはまあ、確かに。でも、こうしていつもの面子でご飯は落ち着くなぁ……」
「ラギー先輩の近くじゃドキドキしてご飯も喉を通らなぁい、って?」
「エース、殴るよ?」
「ニャハハ、いいぞ〜子分! やっちまえ〜!」
「こらグリム、煽るな」
 ドキドキする、というのは否定はしない。が、ご飯は毎日美味しくいただいている。ラギー先輩が作ってくれる料理、全部美味しいし。
「この前の休みも可愛い服着てデートしてたもんな。あんな服、いつの間に買ったんだよ?」
「……でー、と?」
「あからさまに誤魔化すなよ、アヅサ。照れてるのか?」
 ニヤニヤ笑う二人に、私は首を横に振る。
 そんなの、知らない。だって、この前の休みは。
「お前ら何言ってんだ? アヅサはオレ様とオンボロ寮でゲストルームの家具作ってたんだゾ!」
「「……え」」
 二人の表情が固まる。そして、みるみるうちに青ざめた。
「……俺の見間違いだったかも〜。な、デュース?」
「あ、ああ。多分、いやきっと、見間違いだ! うん!」
「……ごめん、ちょっと……外の空気、吸ってくる……」
「アヅサ……?」
 こちらを窺うように見上げてくるグリムの頭を一撫でして、食堂を後にする。
 エースとデュースが何か言っていたが、足を止める気にはなれなかった。

◇◆◇

 中庭のベンチに座って、ぼんやりと空を見上げる。
 この前の休み。ラギー先輩は麓の街でバイトだと言っていた。終わった後に寄るから、と連絡をしてくれて夕方頃にオンボロ寮へ顔を覗かせてくれた。
 安くでたんまり手に入ったと嬉しそうな顔をして、袋いっぱいに詰まった野菜を見せてくれて。じゃあ今夜は鍋にしましょう、と購買で買い足したお肉やお魚も入れた野菜たっぷりのお鍋をグリムも含めた三人でつついたのだ。
 なのに、ラギー先輩は可愛く着飾った女の子と……出かけていた……?
 本人に問い質すべき、なのだろう。今すぐにでもスマホで連絡して、この前の休みに本当は何をしていたのかと。
 だけど……それが、すごく怖い。
 ラギー先輩を信じたいのに疑う自分がいて、仮に……あんまり考えたくないけど、ラギー先輩が知らない女の子とデートをしていた場合。
 自分が、何をしでかしてしまうのか考えると。ものすごく怖い。
「アヅサ?」
「……ジャック」
「お前、こんなところで一人で何してんだ。授業、遅れるぞ」
「……今、ちょっと……授業聞いても、頭に入ってこないと思う……」
「……また何か巻き込まれたのか?」
 怪訝そうに眉をしかめたジャックが隣に腰掛ける。もうすぐ授業が始まるというのに、話を聞いてくれる彼の優しさに思わず笑みがこぼれた。
「何笑ってんだ」
「いてっ」
 こつり、と軽く頭を叩かれる。もちろん、全然痛くなんかない。ジャックからすれば、私は彼の弟妹たちよりひ弱なのだそうだ。だから、いつも最小限の力で触れてくれる。
「ジャックは優しいね」
「勘違いすんな。問題が大きくなる前に話を聞いとかねぇと、後で面倒になるだろ」
 ふいと顔を背ける彼の意見に納得したふりをする。素直じゃない、なんてしつこく揶揄って怒らせるほど悪趣味ではないつもりだ。
「それで? 何があったんだ?」
「大丈夫。巻き込まれてないよ。……ラギー先輩が、この前の休みに女の子と出かけてたって話を聞いちゃって。どうしようかなと思ってただけ」
「そんなの、本人に確認するべきだろ」
 言うと思った。スマホを取り出して操作するジャックの手を掴む。……行動が早いなぁ、もう。
「ジャック、大丈夫だから」
「大丈夫じゃねえから一人でぼーっとしてたんだろ」
「……うん」
「だったら早く呼び出して……」
「誰を呼び出すんスか?」
 軽やかに現れた人影と声に肩が跳ねる。緩やかに弧を描いた唇とは裏腹に、ブルーグレーの瞳は冷ややかに輝いていた。
「ねえ、アヅサくん。いつまで、ベタベタ、他の野郎に触ってるつもり?」
 掴んでいたジャックの手を恐る恐る離すと、空になった手を強引に引っ張られる。
「ジャックくん、授業始まってるッスよ。早く行った方がいいんじゃないッスか?」
「……それは、ラギー先輩もですし、こいつもですよ」
「オレとアヅサくんは大事な話があるから、そっちが優先ッスね」
「……アヅサ」
 大丈夫か、と視線で問われる。それに笑顔で応えれば、目の前が暗くなった。
「早く行けよ」
「……失礼します」
 足音が遠く過ぎ去っていくと、ようやく視界が開ける。それからすぐに、固く繋がれた手を引かれた。
「ラギー先輩」
「何」
「どこ行くんですか」
「いつものとこ」
 淡々と答えを返される。ちらりと横顔を覗いたものの、表情はなかった。
 ラギー先輩の言う『いつものとこ』とは、私と彼がお昼ご飯を食べる場所として利用している空き教室のことだ。何かの授業の準備室のようだが、私たち以外の誰かが入ってきたことはない。
 すたすたと歩くラギー先輩に連れられて部屋に入ると、かちゃりと鍵のかかる音がした。……簡単には逃げられなさそうだ。
「オレが浮気してるって?」
「……エースたちから聞いたんですか?」
「そうッスよ。優しいお友達がいてよかったッスね〜。おかげでレオナさんに鼻で笑われたッスよ。ま、それはいつものことなんスけど」
 けらけら笑いながら、ラギー先輩は私を近くの椅子に座らせた。『愚者の行進』を唱えると、背中の後ろで手を組む。私も彼の真似をさせられた。……動けない。
「で、泣いてんのかな〜って探しに来てみれば、よその雄にベタベタ触ってさぁ……もしかして仕返しッスか?」
「……浮気、したんですか?」
「するわけないでしょ。アンタがいるのに」
 鋭い切り返しに安堵したい、のに。どうしてか、胸の奥がざわざわする。
「一緒にいたの、バイト先の同僚。買い出し行くの一人でいいっつったのに、勝手についてきたんスよ。オレがNRCの生徒って知ってたみたいッスからねぇ。金持ちのお坊ちゃんで玉の輿〜とでも思ったんじゃないスか」
「……そんなの、わかんないですよ。ラギー先輩、かっこいいから」
「妬いた?」
「……妬き、ますよ」
 元の世界と天秤にかけるほど、あなたのことが好きだから。
 そんなの重たすぎて、言えないけど。
「嫉妬して、他の雄に媚び売ったんスか?」
「っそんな、言い方」
 私はともかく、ジャックに失礼だ。彼の優しさを、冒涜している。
「アヅサくんのそういういい子ちゃんなところ、ほんとムカつく」
「う……」
 ラギー先輩の足が、私の足の間を割り入るように椅子の上に置かれる。
 唸り声と同時に覗いた鋭い牙に、ひゅっと喉が鳴った。
「アンタがそんなだから、どいつもこいつも尻尾振って懐いて……」
「らぎ、せんぱ」
「ねえ、オレの番いって自覚、ある?」
「ぅあ……っ」
 首筋に走る、強い痛み。骨をも砕く強靱な牙が、私の皮膚をいとも簡単に貫いていた。
「オレはね、あるっスよ。アンタ以外の雌に絡まれてもどうでもよくなったし、オレ以外の雄に囲まれてへらへらしてるアンタ見てると無茶苦茶にしたくなる」
「……らぎー、せんぱい……」
「手に入れたと思ったのに、どうしてだか欲しくて欲しくてたまらなくなるんすよ。……アンタはいつも、オレを飢えさせる」
 紅を纏ったみたいに色づいた唇をぺろりと舐めたラギー先輩は、嘲笑うように鼻を鳴らす。
 その姿が哀しげで、苦しそうで。首筋の痛みよりも胸の奥を苛んで、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「痛い?」
 首を横に振れば「嘘つき」と彼は笑う。
「んなわけないでしょ。痛くしたんだから」
「……らぎー、せんぱいに、き、きらわれたほうが、いたい、です」
「オレがいつ君のこと嫌いなんて言ったんスか」
「……むかつく、って……」
「好きだからむかつくんスよ。好きすぎて、腹の奥がむかむかする。腹ペコで死にそうな時に似てるんスよね」
「……どうすれば、おさまり、ますか?」
「自分で考えたらどうっスか?」
 意地悪く微笑みかける彼に手を伸ばす。……魔法が切れていることに気がついたが、今はそんなことどうでもよかった。
 見かけよりも逞しい首に腕を伸ばして抱きつく。それから首筋に唇を寄せて――思い切り、噛みついた。
 ラギー先輩みたいに牙を食い込ませるなんてことはできなくて、せいぜい歯形をつける程度だけれど。……胸の奥に潜む怖い自分が、満足感を得ている。
「甘噛みっすか、子猫ちゃん?」
「……ラギー先輩は、私の、って。マーキング、です」
「シシシッ、いいっスね。満腹にはほど遠いッスけど……」
 熱い舌が頬に流れた涙の跡を舐め上げて、目尻にキスを落とす。それだけでは足りないと、唇を塞がれた。
「じゃあ、その……ラギー先輩が、お腹いっぱいになれるように……がんばり、ます」
「……へぇ〜? それはお手並み拝見ッスねぇ」
 今度はこちらからくちづければ、どんなものも盗み出す器用で大きな掌が私の背中へと回ったのだった。

2024年1月23日