疲れたときにはあまいものと、(ラギー・ブッチ)

 体力には自信がある方だが、バイトやらレオナさんの世話やら部活に小テストと色んなことが同時に重なり、流石に参っていた。
 あー、なんか甘いものが食べたい。お菓子って腹持ちよくないけど、こういう疲れてるときに食べるといつにも増して美味いんだよな……。
 腐ってなけりゃなんだっていいが、どうせならドーナツがいい。ばあちゃんの作ってくれる、外はさくさく、中はふわっふわの素朴な甘さのドーナツ。誕生日ケーキの代わりに出してくれるそれがたまらなく嬉しくて、大好物になった。
 後は……彼女さえいれば完璧だ。オレの可愛い番い。思いっきり抱きしめて、彼女の匂いを堪能して、恥ずかしがる彼女に少しばかり意地悪してから甘やかしたい。
 そんなことを考えながら歩いていた所為か、足は自然とオンボロ寮へと向かっていた。玄関のドアをノックすれば、ぱたぱたと小さな足音がしてゆっくりと扉が開く。
「ラギー先輩、こんにちは」
 出迎えくれたのはもちろん、ほわりと柔らかな笑みを浮かべる彼女だ。
「……甘い匂いがする」
 ドアが開いたと同時に香ってきた香りに、すんすんと鼻を鳴らす。
「丁度、おやつができたところだったんですよ」
 どうぞと促されて中に入る。匂いを追うように談話室へと向かえば、テーブルの上には今ものすごく食べたかったものが盛られていた。
「なんだか食べたくなっちゃって。思い切って作ってみたんですよ。ラギー先輩、ドーナツ好きでしたよね?」
「……食べていいんスか?」
「はい。もうグリムの分は除けてあるので、お好きなだけ召し上がってください」
 そこまで言われたら遠慮なんかしない。ソファーに座ってドーナツを手に取り、ぱくぱくと食べ進めていく。
 彼女の作ってくれたドーナツは、ばあちゃんの作ってくれるものとよく似ていた。サクサク感はばあちゃんの方が上だけれど、ほくほく感や素朴な甘さは負けていない。
「飲み物、アイスティーでいいですか?」と尋ねてくる彼女に頷きつつ、ドーナツを食べる手は止まらない。
 あっという間に平らげ、差し出されたアイスティーも飲み干す。
「ごちそーさまッス!」
「お粗末様でした。いつにも増して良い食べっぷりでしたけど、そんなにお腹が空いてたんですか?」
「確かに腹は減ってたんスけど、それ以上に精神が磨り減ってた感じッスね……」
「最近なんだか忙しそうでしたもんね。お疲れ様です」
「……アヅサくん」
 両手を広げて彼女を見つめれば、意図に気づいて視線を彷徨わせた後、おずおずとオレの膝に座る。
 腕を回して、彼女の首筋に顔を埋めた。ドーナツとは違う柔らかな甘い匂いはいつまでも嗅いでいたくなる。
 最初は匂いを嗅がれることに混乱して固まっていた彼女も、少しは慣れたのかやや落ち着きはないもののガチガチに固まることはなくなった。されるがまま、おとなしく腕の中に収まっている。
 しかし今日は珍しいことに、彼女がオレの頭に手を伸ばした。小さな柔らかい手が、オレの髪を撫でるように梳いていく。
「先輩、いつもお疲れ様です。私じゃ、頼りないかもしれませんけど。今日みたいにお菓子作って、その、抱っこするのとかでよかったら、いつでも大丈夫なので……」
 照れているのか、じわじわと体温が上がっているのが伝わってくる。きっと、彼女の頬は赤く染まっているだろう。
 疲れているときに、そういうことを言われると色々我慢が利かなくなる。別にいいか。彼女が頼ってくれてもいいって言ったんだし。好きなようにしても問題ないはずだ。
「それじゃあアヅサくん。オレのお願い、聞いてくれるッスか?」
 彼女の顔を上目遣いで見上げれば、彼女は小さく唸った後「もちろん。どうぞ」と促してくる。
 こういう風にあざとく甘えられるのに弱いなんて、オレの番いがチョロすぎて心配になる。
「じゃあアヅサくんからキスして?」
「……いきなりハードルが高くないですか……?」
「お願い聞いてくれるって言ったじゃないスか。嘘ついたの?」
「うう……わかりました。目を閉じてもらっていいですか……」
 言われた通りに目を閉じる……なんて、そう素直に応じるわけがない。
 薄く目を開けて様子を伺えば、覚悟を決めたらしき彼女がそっと唇を寄せる。触れるだけのそれがもどかしくて、がぶりと噛み付くように深く口づけた。
「んっ、ちょ、せんぱっ……」
「駄目じゃないスか。こうやって、いつもみたいにしてくれないと」
「……意地悪だなぁ、もう……」
 弱り切った小さな声に、ますます加虐心が煽られる。ホント、駄目ッスよ。アヅサくん。肉食獣煽っても、いいことなんて一つもないんだから。
「じゃあ、次のお願いね」
「……お手柔らかにお願いします」
「大丈夫。次は受け入れてくれるだけでいいから」
「受け入れる……?」
 怪訝そうにオレを見つめる彼女に、にっこりと笑顔を返す。
「マーキング。めちゃくちゃつけてもいいッスか? 見えるとこも、見えないところも」
「……いつもつけてるじゃないですか……」
「アヅサくんの口からお許しが聞きたいんスよ。駄目?」
「またそういう……駄目って言えないのわかって聞いてますよね……!?」
「人聞き悪いなぁ。嫌なら嫌って、言ってくれてもいいんスよ?」
 彼女は物言いだけに口を震わせた後、深く溜め息をついた。オレから目を逸らしつつ、ぼそりと呟く。
「……いい、ですよ」
「何が?」
「何が、って、その、さっき先輩が言って……」
「アヅサくんの口から、ちゃんと聞きたいなー? 何がいいって?」
「っ……ほんと、ほんとに、もう……!」
 腕で顔を隠そうとするので「ほら、オレの顔見て言わないと」と腕を掴んで降ろす。
「……マーキング、してもいいですよ」
「どこに?」
「見えるとこも、み、見えないところも」
「じゃあ遠慮なく!」
 まずは見えるところから。力を入れれば噛み砕いてしまいそうな華奢な首筋に牙を立てれば、彼女は小さく悲鳴を上げながらも受け入れた。
――その後、宣言通り余すところなく彼女にマーキングしたオレは疲れも吹き飛んだが、代わりにへろへろになった彼女を思う存分甘やかしてかなり満足した。
 言質はとったし、この方法は積極的に使っていこうと思う。

2021年4月18日