赤ずきんあづさと狼ニキくん - 1/2

 バスケットの中に手作りのお菓子やサンドイッチを詰める。飲み物も忘れちゃいけない。お酒は飲めないからジュースにしよう。
 ハンガーに掛けていた赤いコートを羽織る。フードを目深に被って、荷物を詰めたバスケットを手に取った。
「お母さん、行ってきます」
 庭で洗濯物を干していたお母さんに声をかけると、私の姿を見てくすくす笑う。
「行ってらっしゃい、赤ずきんちゃん」
 からかい混じりのそれに、苦い気持ちを覚えるが何も言い返せない。だってその通りだし。
 でもしょうがない。森へ行くときは必ずこのコートを着てくるようにと言いつけられているのだから。
 可愛らしい刺繍が施された、いわゆる少女趣味な真っ赤なコートに身を包んだ私は……正真正銘の『赤ずきんちゃん』だった。

◇◆◇

 私の姉は、近くにある森の奥でひっそりと暮らしている。
 放っておくとまともな生活を送らずに過ごしてしまうので、妹の私が定期的に様子を見に行っていた。
 その際、獣に襲われたり、動物と間違えた猟師さんに撃たれたりしないようにと姉が用意したのが真っ赤なコートだった。
 これには私を守るために様々な魔法が施されているようで、私を傷つけようものなら恐ろしい仕返しをするように設定されているらしい。
 これはある種の呪われた装備なのでは、と思いつつも身を守るためならしょうがないかと諦めて毎回着ている。
「あ、そうだ」
 ふと、姉の家に飾っていた花が枯れかけていたのを思い出した。あまりにも殺風景な家なので、少しでも生活感を持たせようと道中にある花畑で時折摘んできては花瓶に生けるようにしている。
 ちょうどその花畑が見えてきたので、少し寄っていくことにした。
 色とりどりの花々が咲き乱れるその場所は、瑞々しくも甘い香りが漂っている。
 適当にいくつか選んで摘んでいると、ぐううううと何かが唸るような音が聞こえた気がする。
 まさかとは思いつつも身構えた私の背後から、それは現れた。
「食べ物の匂いがするっす!」
「ひえっ!?」
 バスケットに飛びついてきたそれは、ぴこぴこと大きな耳を揺らしながらバスケットの匂いを嗅いでいる。
「これは……サンドイッチとクッキーっすね!?」
 当たっている、けど。
「…………だ、だれ?」
「んぃ?」
 私の問いかけに顔を上げたそれは、綺麗な空色の瞳をこちらに向けて不思議そうに首を傾げる。
 姿形は人間のように見える。けれど、髪と同じ灰色の大きな耳とふさふさの尻尾が明らかに人ではないことを伝えていた。
「あっ、ごめんなさいっす。これ、君のっすよね……僕、すごくお腹が空いててつい飛びついちゃったんすよ……」
「はあ……」
「……申し訳ないんすけど、このサンドイッチとクッキー、少しだけ分けてもらうことってできないっすか……?」
 ぐるるる、と再び音が響く。どうやら、この人(?)のお腹から聞こえているようだ。空腹なのは本当らしい。
「……少しだけ、なら」
「わーい! さんきゅうっす!」
 バスケットの中からサンドイッチとクッキーをいくつか取り出して差し出すと、嬉しそうに食べ始めた。
「はぁ〜! 美味しかった〜! ほんとありがとうっす! 君は僕の命の恩人っすよ〜!」
「いえ……そんな……」
 よくわからないけど、満足してもらえたならよかった。
「えっと、あの、それじゃあ……」
 ぺこりと頭を下げて立ち上がり、身を翻す。あんまり寄り道すると、帰りが遅くなってしまう。
「待って!」
「えっ」
「んぎゃっ!?」
 ぐいっとコートの裾を引っ張られる。それとほぼ同時にバチンと何か弾けるような音がして悲鳴が上がった。
「だっ、大丈夫ですか……!?」
「うう……なんかバチってして痺れたっす……」
 恐らく私のコートを掴んだであろう手が赤くなってしまっている。
 ……防御魔法が働いちゃったんだ……。
「ご、ごめんなさい。多分それ、私のコートの所為です……」
「? どういうことっすか?」
「えっと、これ、魔法のコートで……色々と防犯対策がされてて……それが起動しちゃったのかと……」
「魔法のコート……へぇ、そうなんすね〜。よくわかんないっすけど……」
「……手当て、しないと」
「これくらいなら大丈夫っすよ〜。冷やしたらなんとかなるっす」
「だ、だめですよ。……少し行った先に、姉の家があるんです。そこで、手当てさせてください。お願いします」
 ただの怪我ならそれでもいいかもしれない。しかしこれは、姉が用意した魔法のコートである。
 私のことを愛しすぎている姉が、あらゆる方法で魔法を施した特注品。
 もしかしたら、変な呪いか何かがかかっている可能性がある。いや絶対かかっている。
 私を呼び止めただけで、呪いをかけられてしまうなんてこの人(?)があまりに可哀想だ。
「……あの、私あづさといいます。どうか、私についてきてくれませんか?」
 私はフードをとって自己紹介をした。人前に顔を出すのは苦手だけれど、流石に素性を明かさない不審者についてきてもらうのは怖いだろう。
 その人はぽかんとした顔で、私のことをまじまじと見つめた。あんまり見られると恥ずかしいので勘弁してほしい……。
「……あづさちゃん?」
「? はい」
「……僕、ニキっていうっす」
「ニキさんですね」
「あづさちゃんは、僕の命の恩人っすから。どこへだって、ついていくっすよ」
 そう言って、ニキさんは嬉しそうに笑った。……その命の恩人の所為で怪我をしたのに……この人(?)もしかしたら食べ物あげたら誰にでもホイホイついていってしまうんじゃないだろうか……。
 少々心配になりつつも、まずはニキさんの怪我を治すことが先決だとフードを被り直し、ニキさんの怪我をしていない方の手を掴む。
「えっ」
「……あっ、その、このコートは私と手を繋いでいる人には発動しないので……ごめんなさい、急に……」
 説明もせず手を繋いでしまった。私と手を繋ぐことで、相手を敵と認識しなくなるのだと姉が言っていたことを思い出したのだ。ちなみに、身内は最初から除外されているらしい。
「ううん。大丈夫っすよ」
 ニキさんはぎゅっと私の手を握り返す。大きくてしっかりした手に包まれてドキリとしながらも、私も力を込めた。
「じゃあ、行きましょう」
 一刻も早く、ニキさんにかけられた呪いを解いてあげないと。
 こっそりと意気込んでいた私は、ニキさんが熱を持った眼差しをこちらに向けていることに少しも気づくことはなかった。